THE ALFEEのギタリスト、坂崎幸之助さん。デビューから50年近くが経った今でも、その魅力は色あせることなく多くのファンを魅了し続けています。
「God Of DJ」の異名を持ち、多彩な才能と温かい人柄で知られる坂崎さんは、若い頃から現在に至るまで、どのように変化し、また変わらぬ魅力を保ち続けてきたのでしょうか。
この記事では、坂崎幸之助さんの若い頃の姿を振り返りながら、時代を超えて愛され続ける理由に迫ります。
【画像】坂崎幸之助が若い頃からかっこいい!
音楽の道を志してから半世紀近く、坂崎幸之助さんは常に変化しながらも変わらぬ魅力を放ち続けてきました。
中学・高校時代からギターに熱中し、明治学院大学では後の相方となる高見沢俊彦さんと出会い、バンド活動を本格化。
1974年8月にTHE ALFEEとしてデビューして以来、日本の音楽シーンに大きな足跡を残してきました。
ここでは、各年代における坂崎さんの姿と活躍を振り返ります。
10代

10代の坂崎幸之助さんは、すでに音楽への情熱を燃やしていました。
中学1年生の時にヤマハのFG110を購入し、本格的にギターを始めます。
当時は「エレキを持つと不良になる」という世間の風潮から、アコースティックギターを選んだそうです。
中学・高校時代は毎日学校にギターを持参し、休み時間になると弾いていたといいます。
都立墨田川高校ではフォークソング同好会を設立し、初代会長を務めました。
- 音楽ライター・田中氏
坂崎さんの高校時代の写真を見ると、すでにあの特徴的な笑顔があって、周りを明るくする存在だったことがわかります。ギターを持つ姿も今と変わらず真剣そのもの
高校時代から持ち前の明るさと音楽への真摯な姿勢が、多くの人を惹きつけていたようです。
ギターの腕前も同級生の間で評判だったといわれています。
20代



20代になると、THE ALFEEのメンバーとして本格的な音楽活動を開始します。
1974年8月25日、シングル「夏しぐれ」でデビュー。
当時の坂崎さんは黒髪のカーリーヘアが特徴的で、眼鏡と相まって知的な印象を与えていました。
初期のALFEEはフォーク色が強く、坂崎さんのアコースティックギターが重要な役割を果たしていました。
- 音楽プロデューサー・山田氏
デビュー当時の坂崎さんは、まさにフォーク少年という感じでした。今でこそロックバンドのTHE ALFEEというイメージが強いですが、初期の楽曲は繊細で美しいハーモニーが特徴的でした
まだ無名だった20代後半、坂崎さんは積極的にラジオ番組に出演し、トーク力を磨いていきます。
話術を向上させるため、落語家の林家三平(初代)に師事したというエピソードも残されています。
その努力が実を結び、後にラジオパーソナリティとしても高い人気を獲得することになります。
30代


30代の坂崎さんは、THE ALFEEが再ブレイクを果たす1980年代に活躍します。
1983年に「メリーアン」がヒットし、バンドとしての人気が急上昇。
この頃からTHE ALFEEはフォークからロックバンドへと音楽性を変化させていきますが、坂崎さんは変わらずアコースティックギターを中心とした演奏スタイルを貫きました。
- ギター専門誌編集者・佐藤氏
爆音のロックサウンドの中でもアコースティックギターの繊細な音色を活かす坂崎さんの姿勢は、バンドに独自の深みを与えていました。彼のアコギへのこだわりがTHE ALFEEの特徴的なサウンドを形成したのです。
また、この時期のラジオ番組「スーパーFMマガジン・坂崎幸之助のNORU-SORU」は人気を博し、「God Of DJ」の異名を取るほどでした。
トークの面白さで、FMラジオパーソナリティ人気投票で常に上位にランクされていたといいます。
40代


40代になると、坂崎さんの活動はさらに多岐にわたります。
THE ALFEEでの活動に加え、他のアーティストとのセッションやプロデュース業にも力を入れるようになりました。
また、古カメラや和ガラス、ウランガラスなど様々なコレクションも充実させ、多趣味な一面も注目されるようになります。
- カルチャー誌ライター・木村氏
40代の坂崎さんは、音楽だけでなく様々な分野で才能を発揮していました。特に和ガラスコレクションは専門家も驚くほどの質と量で、その審美眼の高さは音楽にも反映されていたと思います
この頃から髪型も変化し、それまでの黒髪カーリーヘアから茶髪のストレートヘアへと変わりました。
また、眼鏡も太めのフレームを好むようになり、現在につながるスタイルが確立されていきます。
50代


50代の坂崎さんは、自身のルーツであるフォークミュージックを広める活動も本格化させます。
2003年から「坂崎幸之助のお台場フォーク村」を開始し、若手からベテランまで多くのミュージシャンとの交流を深めました。
また、ザ・フォーク・クルセダーズの新結成メンバーにも抜擢され、日本のフォークミュージックの伝道師としての一面も強まります。
音楽ジャーナリスト・鈴木氏
フォーク村での坂崎さんは、まさに伝道師そのもの。若手アーティストへの温かいまなざしと、先輩ミュージシャンへのリスペクトが絶妙なバランスで共存していて、彼の人間性の豊かさを感じました。
この時期も変わらず多くのイベントやラジオ番組に出演し、多忙な日々を送りながらも、常に新しいことへのチャレンジを続けていました。
60代


60代に入ってからも、坂崎さんの活動は衰えることがありません。
2014年には母校の明治学院大学から「名誉学士」の称号を授与されるなど、音楽以外の面でも評価を受けるようになります。
また、2020年からはInstagramを開設し、「さかすたぐらむ」の愛称で親しまれ、新たなファン層も獲得しました。
SNSマーケティング専門家・高橋氏
60代になっても新しいことに挑戦し続ける坂崎さんの姿勢は、多くの人の刺激になっています。Instagramでは若い世代にも親しみやすい投稿で、世代を超えた人気を博しています。
この年代になっても変わらぬ好奇心と行動力で、多くの人を魅了し続けています。
特に長年続けてきた趣味のコレクションを生かした写真展や著書なども注目を集めました。
70代


2024年に70歳を迎えた坂崎さんは、THE ALFEE結成50周年という大きな節目を迎えます。
若い頃と変わらない情熱とエネルギーで音楽活動を続け、「宇宙で一番小さい70歳」と称されるほど若々しい姿を保っています。
音楽評論家・伊藤氏
70歳になった今も、ライブでの坂崎さんのパフォーマンスは衰えを知りません。アコースティックギターを手に歌う姿は、デビュー当時から変わらぬ魅力に満ちています。
SNSでの発信も積極的に行い、ファンとの交流を大切にしている姿勢も健在です。
長年のキャリアで培った経験と知識を若い世代に伝えることにも力を入れており、音楽業界の重鎮としての側面も見せています。
坂崎幸之助が時代を超えて愛される5つの秘密とは?
坂崎幸之助さんが50年近くにわたって多くのファンに愛され続けている理由は何でしょうか。
若い頃から現在まで、時代とともに変化しながらも変わらない魅力を持ち続ける秘密に迫ります。
ここでは、多くのファンや関係者の証言から導き出された5つの理由をご紹介します。
【理由①】渋さが増した


若い頃のフォーク少年から、年を重ねるごとに増していく「渋さ」が坂崎さんの大きな魅力です。
20代の頃の爽やかさから、年齢を重ねるにつれて深みと落ち着きが加わり、現在は「味わい深さ」という言葉がぴったりな風格を備えています。
特に50代以降、その渋さは際立ち、多くのファンを魅了しています。
音楽プロデューサー・中村氏
若い頃は爽やかで可愛らしさがあった坂崎さんですが、年齢を重ねるごとに渋さが増して、今ではロック界の中でも独特の存在感を放っています。特にライブでギターを弾く姿は、まさに職人技のような風格があります。
また、ファッションセンスも洗練され、眼鏡のデザインや髪型の変化も含めて、年齢に合った「かっこよさ」が進化し続けています。
このような自然な変化を受け入れながらも自分らしさを保つ姿勢が、多世代のファンに受け入れられている理由の一つでしょう。
【理由②】笑顔が魅力的

坂崎さんといえば、その笑顔の魅力は特筆すべきものがあります。
デビュー当時から変わらぬニコニコとした表情は、多くのファンを癒し、元気づけてきました。
特にライブやイベントでの笑顔は、観客との距離を縮め、温かな雰囲気を作り出しています。
長年のファン・田中さん
坂崎さんのライブでの笑顔は特別です。どんなに疲れていても、観客と目が合うと必ず笑顔を返してくれる。それだけで元気をもらえる気がします。その温かさは50年近く変わっていません。
また、公私問わず持ち前の明るさと優しさを絶やさない姿勢は、共演者やスタッフからも高く評価されています。
常に周囲を気遣い、和やかな雰囲気を作る能力は、長いキャリアの中で培われた人間力の表れといえるでしょう。
笑顔の魅力は年齢を重ねるほどに増し、人生経験から生まれる優しさもプラスされています。
【理由③】ギターの技術

坂崎さんの音楽的才能の中でも、特にアコースティックギターの技術は群を抜いています。
フォークからロック、クラシカルなアプローチまで様々なスタイルを自在に操り、繊細かつダイナミックな演奏は多くのギタリストにも影響を与えてきました。
ギタリスト・山本氏
坂崎さんのギターは独特です。特にアルペジオの美しさや、ピッキングの強弱のつけ方に個性があり、誰にも真似できない音色を生み出しています。また、爆音のステージでアコースティックギターを活かす技術も素晴らしい。
若い頃から現在まで、常に研鑽を積み重ね、様々な楽器やテクニックを吸収してきた努力が、現在の確かな技術につながっています。
また、200本以上のギターコレクションを持つギター愛好家としての一面も、その演奏技術に深みを与えています。
坂崎さんの手にかかると、どんなギターも魂を宿したように鳴り響くといわれています。
【理由④】知的な雰囲気

坂崎さんの魅力の一つに、その知的な雰囲気があります。
多趣味で博識な坂崎さんは、音楽だけでなく、カメラや和ガラス、両生爬虫類など様々な分野に精通しており、そのような幅広い知識と教養が醸し出す雰囲気は、多くのファンを魅了しています。
放送作家・佐々木氏
坂崎さんのラジオ番組やMCを聴いていると、その博識ぶりに驚かされます。音楽の歴史から最新技術、さらには自然科学や文学まで話題は多岐にわたり、どの分野でも深い知識を持っていることが伝わってきます。
特に特徴的な眼鏡スタイルも含め、若い頃から醸し出していた知的な雰囲気は、年齢を重ねるごとに深みを増しています。
ラジオパーソナリティやMCとしての活動でも、その教養の深さと語り口の柔らかさで多くのリスナーを惹きつけ、「God Of DJ」と呼ばれる所以となっています。
【理由⑤】髪型が変化


坂崎さんの外見的特徴として、時代とともに変化してきた髪型も大きな魅力となっています。
デビュー当時の黒髪カーリーヘアから、90年代以降は茶髪のストレートヘアへと変化し、その時々でスタイルを更新してきました。
美容師・金子氏
坂崎さんの髪型の変遷は、THE ALFEEの音楽性の変化とも重なる部分があります。フォーク時代のナチュラルな黒髪カーリーから、ロック色が強まるにつれてスタイリッシュな茶髪ストレートへ。常に時代の先端を行くセンスを感じさせます。
特に眼鏡との組み合わせは絶妙で、90年代以降は縁が太いフレームを好むようになり、そのスタイルは「坂崎スタイル」として多くのファンに親しまれています。
髪型の変化は単なる見た目の問題だけでなく、音楽性や人間性の成長とも連動しており、その時々の坂崎さんの内面を表現するものとなっています。
坂崎幸之助wikiプロフィール

プロフィール
- 名前:坂崎幸之助(さかざき こうのすけ)
- 本名:坂﨑幸二(さかざき こうじ)
- 生年月日:1954年4月15日
- 出身地:東京都墨田区
- 身長:164.2cm
- 血液型:O型
- 職業:ミュージシャン、ラジオパーソナリティ
- 所属グループ:THE ALFEE
- 担当:ギター、ボーカル
- 学歴:東京都立墨田川高等学校卒業、明治学院大学文学部二部英文学科中退(2014年に明治学院大学から「名誉学士」の称号が授与される)
経歴
- 1967年:中学1年生の時にヤマハのFG110を購入し、ギターを始める
- 1972年:高校3年の時にフォークコンテストに参加し、桜井賢と出会う
- 1973年:明治学院大学で高見沢俊彦と出会い、バンドの母体を形成
- 1974年8月25日:シングル「夏しぐれ」でTHE ALFEEとしてデビュー
- 1983年:「メリーアン」がヒットし、バンドが再ブレイク
- 1989年~1994年:「スーパーFMマガジンNORU SORU」がスタート
- 2002年:ザ・フォーク・クルセダーズの期間限定新結成のメンバーに抜擢
- 2003年:「坂崎幸之助のお台場フォーク村」を開始
- 2007年:加藤和彦との新ユニット「和幸」を結成
- 2014年:明治学院大学から「名誉学士」の称号を授与される
- 2020年:公式Instagramを開設
- 2024年:THE ALFEE結成50周年
まとめ

坂崎幸之助さんは、1974年のデビューから現在に至るまで、日本の音楽シーンで重要な役割を担い続けています。
THE ALFEEのギタリストとして、また多才なミュージシャンとして、さらにはラジオパーソナリティとしても活躍し、多くのファンに愛され続けています。
若い頃からの変化を振り返ると、髪型や眼鏡のスタイルなど外見的な部分は変わっても、音楽への情熱や人を魅了する笑顔、ファンを大切にする姿勢など、本質的な部分は変わらないことがわかります。
それこそが、坂崎さんが時代を超えて愛され続ける最大の理由といえるでしょう。
「渋さが増した」魅力、いつも絶やさない「笑顔」、卓越した「ギターの技術」、博識さからくる「知的な雰囲気」、そして時代とともに変化する「髪型」。これらすべてが組み合わさり、唯一無二の存在として多くの人に影響を与え続けています。
デビューから50年を迎える現在も、変わらぬ情熱と新たな挑戦を続ける坂崎幸之助さん。
これからも彼の活躍から目が離せません。